八仙茶館日報

営業中!

だいたいなにもすることがないなんてことがあろうか。

最近2つある本業の傍ら、あるお店を手伝っている。
午前と午後は本業をやって、夕方には別の本業を少しやって、それから夜そのお店のホールを少し。
働き過ぎに見えるが、実際のところは週4.5のフルタイムぐらいな感じ。
それぐらいがちょうどいいと思って、そういう風に生活を作ってきた。

飲食は黒いみたいなことはよく言われるし、よくあるけど、私の場合は幸い受給バランスがうまくいってて、真っ白である。

ちゃきちゃき体動かすの楽しいし、小さいバーにありがちなお客さんとの馴れ合いのような変な関係もなく、ちょうどいい。

そういえば、最近ブラックって搾取とかそのあたりの話が見えず、経営者の人格を問う話ばかりになっているのははてなだけなのかしらないけれども、さまざまな業種の経営者と話す機会が土地柄か、生活柄か、よくあって話していると、飲食なんかは特に経営者に「人格者であらねばならない圧」を感じさせていて、その認知的不協和にやられている人も多い。
もちろんそこから協和を目指し、協和を達成している(ように見える)人もいる。

逆に開き直りの三太郎で、「補助金?もろとけもろとけ、もろたもん勝ちや!」みたいな人もいるけど。

あとそのへんで思うのは、年収400万がどうとかっていう話で、経営の基本はコストカット!みたいな気がしてたんやけど、その辺のことはどうお考えなんだろうか、とか。

それはそうと、きょう仕事が終わって、そのお店に友人たちが来てて、私の仕事が終わったあとその5人に混ざって飲んでた。
私達も30才の手前となって、話すことはだんだん20代前半のころとは変わっているけれど、楽しいのは変わらず、あとみんな大人になってるなあ、と自分にフィードバックがかかって心地いい。

そんななかで、ひとりが携帯を触って某パズルゲームを始めて「え、なんやってんの?」「知らんの?」「いや、知ってるけど、なんていうか」とか、そういうやりとりを聴いててもなんか可笑しみがあった。

あと隣の女の子が可愛かった。

最近、文章を読むのは中国の古典ばかりで、まともな会話をしてなくて、それで久しぶりにまともな会話を彼ら/彼女らとしててずっと思ってたのは、優しいなあ、ということ。

ここ最近自分のリミッターみたいなのをはずす訓練をしていて、その中で、リミッターというのが、自分で作っている、ということをよく考えてて、それは他者との関わりの中で形成され、強化されるみたいなことも考えたりしてたけど、優しいっていいなと思った。

穏やかで優しくなれたらいいな、と思った。

それぐらいその女の子が穏やかで!優しかった!ということ!

仕事して、そのあと畑に行こう。
2つの本業のうちの1つは農業なのでした。

帰ったら王陽明読むーーーー

王陽明研究
王陽明 知識偏重を拒絶した人生と学問―現代活学講話選集〈7〉 (PHP文庫)
伝習録 (中公クラシックス)