福沢先生の思い出
福沢諭吉先生の本を折に触れて読んでいる。
また、丸山先生の『「文明論之概略」を読む』も読んでいる。
文章を読むことは思考することである。
文章のムードの中で思考する、あるいは文章に沿って思考する。
単にヒントになってそこから派生していくようなものもあれば、その文章が読み手の中で思考するような場合もある。
内言という言葉があって、たぶん心理学あたりの言葉なんだけど、これは自分の中で植物的に成長し、自分の中でさまざまに響く言葉を指している(たぶん)
最近、オンラインの文章を読むことが多くて、それがしばらく続いた結果、私は内言についての無自覚というリスクあるいは罪を痛感した。
情報をフィルタリングするための通関は機能してないのか、という話もあるが、なにしろ文章量が多すぎて消化不良気味になるぐらいだったので、通関士各位はおそらく激務に耐えかねてどこかに行ってしまったのかと思われる。
閑話休題。
内言の話である。
自分の中で響く言葉は、我々の思考のリズムやコード進行を決定し、したがって精神および肉体生活のムードを規定する。
そして2013年9月の私はある日、自分の内言のクオリティの低さに慄き、そしてその内容その他が読んだ文章によって形作られていることを実感して、さらに慄いたのであった。
これはあかんわ。
ということになって初めて自分の生活環境を見直すことになったのだから視野の広い狭いとかいうレベルじゃねーぞという話であって、どうにかせなな、とようやく思ったのであった。
それで手にしたのが、本棚にあった福沢先生と丸山先生の本で、再読、あるいは再々読であったが、読みはじめてすぐにこの読書体験が自分の糧となるだろうことを確信した。
力強い思考体とも呼べる福沢先生の覇気と、また明晰かつ決断に溢れる丸山先生の論理作品群は、以前集中的に読み込んだこともあって、私の中で再び根付くのにそれほどの時間を要さず、その論理や決意や歴史や危機意識、そしてなによりも信頼が私の中で息吹きはじめるのもまた、それからすぐのことであった。
あーあーー
サボったな、しばらく、と思いながら、この大きな2つの本が手元にあることの僥倖を思い、またそのアクセシビリティのよい位置にいながらも手に取らなかったことを思い、これからのある意味で信頼の跳躍の必要に迫られた自分のこれからを思い、それまで信頼について思いを巡らせるときに通奏低音としてあった不安が次第にエネルギーへと昇華していくのを感じながら、やっぱだいぶサボったから、ちょっとちゃんとしよかな、などと思うのであった。
そう、ちょっとちゃんとしよ。
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